2011年6月9日木曜日

初夏の風

つと視線をやると、夜風がカーテンを膨らませたところだった。
ひそやかに、忍び込むような夜気が微かに室温を下げる。
それは、鼓膜を揺らすか揺らさないかという程度の虫の音を伴って、
ゆっくりと部屋の中を旋回しては、また窓の外に躍り出ていった。

傍らを離れた執事が、その窓を静かに閉める。
私は、彼にすぐに戻るようにと促し、手元の本を閉じた。

「どうかなさいましたか」
「……肩が寒い」

弱音だ。
彼はそれを知っていて、あえて私に尋ねる。
私の弱味を握るのは、彼の得意技であり、趣味でもあった。

彼は、まだ濡れている私の髪を乾いた布でゆったりと包み、
丁寧に水分をぬぐっていく。
その心地よさに目を閉じると、耳の奥にまだ虫の音が響いていた。

「かつて、なぜ命とはこんなにも不公平なのかと思っていた」
「……いのち」

彼は、鸚鵡返しにそう言ったきり、私の言葉を待っている。

そうされると、かえって言葉は続かなくなるもので、
私は本当は何を話そうとしていたのかも忘れてしまい、
そんな自分が滑稽で、つい鼻を鳴らして笑った。

「……今はもうそんな考えは持っていない」

おそらく、私の話をよく聞こうとして手を止めていた執事が、
再び仕事を始める。
背後に立つ彼の表情は見えなかったけれど、
きっと微笑んでいるだろうと思った。

「命のあるなしも、公平か不公平かも全部同じだ。
われわれの議題に上がりそうな、一見意味ありげな問いには、
本質的な回答を明示してくれる者が存在しない」

「それでは、あなたは今はどのようにお考えなのです?」

執事が問う。

私は、数秒わざと口をつぐんでもったいぶらせ、
やはりそうと知って黙っている執事を、ゆっくりと振りあおいだ。

「死ぬまでずっと、どっちつかずさ」

執事は、それを聞くとチャーミングにひょいと肩を竦め、
彼にしては珍しく、困ったように笑った。